たまりば

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Posted by たまりば運営事務局  at 

2012年04月04日

とんぼ返り

おととい所用で京都に日帰りでとんぼ返りしました。

桜はまだ「つぼみ膨らむ」の状態でしょうか。今年はやや開花が遅いようです。4月早々にイベントを予定しているところはどうするのでしょうか。吊り広告で、府立植物園が、4月8日から15日まで桜ライトアップをするというのが出ていましたが、そのあたりが当たりのように思えます。それにしても、桜や紅葉のライトアップというのは、お寺の収入源のためかと思っていましたが、公立施設までやるの・・という感じです。

河原町通りを少し歩きましたが、比較的上品なお店が並ぶ通りによしず張りの屋台村ができていました。さらに、最近は、ラーメン、うどん、お好み焼きなど安直な和風ファストフードのお店ができてはつぶれ、できてはつぶれしています。奈良に比べ活気があるのは良いが、京都の街も少々荒れてきたように思います。  


  • Posted by そやねん  at 07:01Comments(0)文化

    2012年01月04日

    修学院離宮

    新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

    お正月ですから、のどかな話題で・・。NHKテレビで京都修学院離宮の番組を放送していました。私は、学生時代に一度行っただけですが、自然美豊かな、広々したよい庭園ですね。(写真:左、下とも同離宮)

    当時は何カ月も前から申し込みが必要なので、京都旅行のついでに気軽に立ち寄るわけにはいかない存在でしたが、今ではネット申し込みができるようになったそうですが、だいぶ予約しやすくなったでしょうか?

    しかし、自然を生かし、広々した素晴らしい庭園です。江戸初期、後水尾天皇が、譲位して隠居したのち、長期間かけて造成したとのことです。その素晴らしい美的感覚に驚嘆するとともに、当時そう豊かでもなかったはずの皇室が、これだけのものを造成できたのには感嘆します。徳川幕府の支配下にあり、かつ、天皇の位も譲位した立場でそんな財力が振るえたとは・・・。

    とにかく、権力者がどうせその権力をふるうなら、酒池肉林にふけるのではなく、芸術作品に財を投じるべきですね。数百年後の国を潤しますから・・・。

    いずれにせよ、京都へおいでの機会があれば、修学院離宮と桂離宮はぜひおいでになってください。

    (追記)前回のブログ記事で、元号と西暦の換算が間違って困ると書きましたところ、タマヤーさんとエルダベリィさんから同感だとコメントをいただきました。西暦もよいが、忠臣蔵の討ち入りで「ときは元禄15年」と言えないのでは感じが出ないとのジョークもいただきました。その通りだと思いますが、それより前の時代はもう元号もわからない、学校の日本史では、ナクヨ鶯平安京とか、イイクニ造る鎌倉幕府というように習ったわけですからね。で、私は極力西暦で暮らすことにしました。  


  • Posted by そやねん  at 21:12Comments(1)文化

    2011年12月31日

    今年は平成何年?

    年末になっていろいろ忙しく、ブログ投稿もさぼりがちでした。

    忙しいと、つい、うっかりミスも増えてきます。今日は年賀状を書いていて、親戚あては元号、つまり平成で出そうよということになり、そうしたつもりが、印刷した後で、平成23年元旦になっているのに気がつきました。いやー、これはいけない、年賀はがきが30枚ほどだめになり、あわてて年賀はがきの買い増しに走りました。

    それにしても、西暦と元号とを併用するのは、ややこしく、わずらわしいものですね。
    なかなかぱっと片方からもう一方へ換算できないですね。皆さんは、たとえば、次の年を西暦または元号にパッと換算できますか。

    (1) 坂の上の雲の日露戦争がはじまった明治37年
    (2) 東京オリンピックが行われた昭和39年
    (3) 平成が始まった平成元年
    (4) 第1次世界大戦が始まった1914年
    (5) 日本の株価が最高値を示した1989年

    いかがですか?アーややこしい、グローバル化の時代ですから、そろそろ西暦に統一してもよいのではないでしょうか。

    それでは、皆様、どうか良い新年を。

      


  • Posted by そやねん  at 20:44Comments(2)文化

    2011年12月17日

    ほんとに忠臣蔵?続

    録画しておいた12月14日NHK放送の歴史秘話ヒストリアを見ました。

    忠臣蔵の討ち入りで殺害された吉良上野介は、地元では名君として今でも慕われているというのは本当で、浅野内匠頭に賄賂を要求したといわれるが、勅使接待のノウハウを教えるコンサルタント料であり、正当なものであったとのことでした。しかるに、切り付けられた上に、主君の敵呼ばわりされて家来たちに暗殺され、家族や家来たちも悲運な最後となったのは、極めて理不尽で気の毒であったとして、少しは上野介の名誉回復をしています。

    驚いたのは、当時の民衆が、切りつけて仕損じるとは残念、しっかり殺してしまうべきであったのにとか、家来たちは早く敵討ちをすべきだとか、無責任な野次馬根性ではやしたてたらしいです。民衆心理も怖いものですね。

    そういう民衆心理に気を使い、また、主君に忠義を尽くすのは良いという掟と人を殺すのは悪いという掟との板挟みになった将軍綱吉率いる幕府も迷いに迷って、47人の家来たちを死刑にはするが、人殺しとしての打首獄門ではなく、名誉の保てる切腹に処したとのことです。そういう迷いが充満したのかその後の綱吉の政治は精彩がなくなったとのことです。

    結局損をしたのは、殺された上野介を始め、切腹の内匠頭、内蔵助、巻き込まれた家族家来、さらに将軍、幕府、踊った民衆・・・、ほとんどすべての人たちです。得をしたのは、300年間の儲けの種を手に入れた歌舞伎業界だけか・・・。

      


  • Posted by そやねん  at 08:27Comments(0)文化

    2011年12月15日

    ほんとに忠臣蔵?

    ゆうべ12月14日の夜は、赤穂浪士の討ち入りの日でしたね。

    江戸時代の元禄15年、勅使接待を受け持った浅野内匠頭長矩が指導役の吉良上野介義央を江戸城中で切り付け、幕府から切腹を命じられたのに対し、大石内蔵助等47人の家来が主君の無念を晴らすとして、吉良上野介の屋敷に討ち入り、上野介を殺害した事件です。そして、47人も死刑となりました。

    城中での殺傷事件は死刑が判例として切腹を命じたのは五代将軍綱吉率いる江戸幕府ですから、主君の仇討ちをするなら、江戸城に討ち入って将軍綱吉の首級を狙うのがスジでしょう。まったくおかしな話です。吉良義央は領地の愛知県吉良では今も名君と慕われているのに、理不尽に殺害された上300年間敵役にされてきました。

    討ち入りののちすぐさま、47人の行為をほめたたえるドラマに仕立てて、「忠臣蔵」として歌舞伎で上演されたそうです。深読みするならば、浅野内匠頭を死刑にし、さらに忠義な47人の家来を死刑にしたと民衆の非難が幕府に向けられるのを避けるため、歌舞伎作者等に手をまわして47人の行為を美談に仕立てたのでしょう。一部の識者もこういう見方をしています。

    吉良上野介に気の毒なことに、昨夜もまた、お気楽忠臣蔵がテレビで放映されたようです。  


  • Posted by そやねん  at 09:37Comments(0)文化

    2011年10月18日

    ソーシャルメディア・続

    同じソーシャルメディア講座の別の講師のお話です。

    ソーシャルメディアの利用が一般化すると、個人のプライバシー情報が幾分なりとも流出していく。よほど警戒していても、この傾向にはあらがえない。まして、ソーシャルメディアの実践家、評論家ともなると、少なくとも名前と顔は露出せざるを得ない。したがって、他のプライバシー情報、例えば今どこにいるとか、どのあたりに住んでいるとか、具体的な情報だけでなく、推測されるような情報も出さないように注意している。ソーシャルメディアの時代に生きる人にはトラブルから身を守るために、いわば、「露出リテラシー」(ここでは、露出の作法とでも訳すべきでしょうか。)が必要となる。とのことでした。

    その講師は、ソーシャルメディアの時代には地域コミュニティはどうなるかという会場の質問に答えて、私は興味で結ばれている小さな単位で暮らしている、地域というものが成り立ちにくくなるのかなと感じているとも話されました。  


  • Posted by そやねん  at 08:11Comments(0)文化

    2011年10月18日

    ソーシャルメディア

    嘉悦大で行われた、嘉悦大大学院主催、マイスタイル@こだいら協力のソーシャルメディア講座に出ました。

    フェイスブック、ツィッター、ブログなどソーシャルメディアに関する第1線級の実践家、評論家が講師をなさった講座で、非常に興味深く、刺激的なものでした。その全貌を個々に紹介することは困難ですが、議論の本筋とは別に、ちょっと感じたことを書いてみます。

    ある講師のお話、各種のメディアの利用に一生懸命になっていると、ネット社会での友人知人がどんどん増えていくが、300人に近付くと、頭の中に収容しきれなくなって、飽和状態となり、崩壊していく。そして、150人くらいに下がると再度それを再構築していくことが可能となる。これは、結局、相手を具体的に個別認識するという機能は、150人位がせいぜいで、それを越すと頭に収容しきれなくなって、飽和し、収容可能な限度に戻るということのようです。

    講師は、ローマ帝国における軍隊の単位も150人程度であったという例を持ち出されましたが、そういえば、旧日本軍隊や自衛隊の最小編成単位である中隊も最大150人程度のようです。  


  • Posted by そやねん  at 07:25Comments(0)文化

    2011年10月17日

    へびまはれ

    久し振りに高校のときのクラス会に出ました。

    このクラス会の名は、「へびまはれ会」といいます。なぜこういう名前を付けたのか?高校3年生のときの担任が英語の先生で、「使役動詞で補語の不定詞が原形となる(つまりtoがつかない。)ものに、help,bid,make,have,letがあるが、これを覚えるには、各語の頭をとって、へびまはれ、と唱えるといいよ。」とおっしゃったので、みんな、「へびまはれ、へびまはれ・・・」と暗唱しました。

    クラス会の命名にてこずったとき、級友のだれかがこれを思い出し、「へびまはれ会」と命名しようよと提唱、全員賛成してこの名前となりました。

    大変ユニークな名前で、他に例がないでしょう。みんなこの名前が気に入っています。ただ、「蛇、廻れってどういう意味ですか?」と聞く人が多く、そういうとき、説明にひと苦労します。
      


  • Posted by そやねん  at 16:22Comments(0)文化

    2011年09月14日

    ITで教育

    NHK教育テレビでホワイトボックスという番組をやっています。ITの最近の話題をわかりやすく解説していて、興味深い番組です。数日前、その番組でITの教育への利用を話題にしていました。

    事例のその1では、不登校になった高校生が携帯電話で教育センターから授業の内容を受信し、センターに質問したり、テストを受けたりし、それらすべての内容をセンター側で分析してその後の授業内容を随時適切に修正していくというもので、ITによるきめ細かい教育の可能性に目を開かされました。もっともこれで成績が上がるようなら、ますます不登校が増えるのではないかと心配も・・。

    事例のその2では、小学校で各生徒が電子ペンで書いた内容が個別にも全員の分でも自由自在に電子黒板に表せるようになっています。これを利用して教員は非常にたやすく、スピーディに各生徒の作品を分析批評できるとのことです。もっとも、初期投資が相当かさむし、教員も十分使いこなせなければなりませんが・・。

    事例のその3では、大学授業のネット公開として東京大学が紹介されていました。早速ネットに入ってみましたが、数年前から「知の開放と構造化」と題して手掛けられている気宇壮大な計画ですが、いろんな視聴方式があったり、特別なソフトのダウンが必要だったりして、入るのに随分てこずりました。大学の講義より入学試験の方が難しいのと同じブラックジョークものですね。

    というようなことで、ITの教育への利用は、使い方を誤らなければ、非常に有望だと思われました。人対人の教育とITの利用とをうまく結びつけることがポイントなのでしょう。  


  • Posted by そやねん  at 16:11Comments(3)文化

    2011年08月19日

    桑田圭祐船乗込み

     NHKテレビの歌番組で、桑田圭祐(歴史上の人物と著名人には敬称なし)が、歌舞伎の船乗り込み風に大阪道頓堀川に船で乗り込み、歌うのをみました。癌の手術をしたというのに堂々と歌っていました。

     桑田圭祐は湘南がホームだといっても、加山雄三や石原裕次郎と違って、歌に猥雑さがあるのですね。それが大阪ミナミの雰囲気にピッタリです。歌うほうも見るほうも一緒になって猥雑さを楽しんでるようでした。

     と云って、大阪人が猥雑さだけを愛しているわけではありません。私の父方は、明治維新に富山から大阪に出てきて商人になったのですが、商人として一本立ちした後、私の叔父叔母の代では、西宮、芦屋、神戸などに居を構えました。東京でいえば、田園調布など東横沿線ですね。わが国トップクラスの上品な住環境です。

     猥雑さと上品さと、両方とも好きなのです。ひとは誰でも両面性を持っていると思いますが、大阪人は偽悪趣味が過ぎるのです。すぐ「ワイはアホや」とか「わいはワルやでー」とか言いたがります。

     (写真:桑田圭祐船乗り込みの写真を入れたかったのですが、NHKの著作権侵害となりますので、残念ながら割愛です。)  


  • Posted by そやねん  at 09:12Comments(0)文化

    2011年08月15日

    星が灯る夜

     星が灯る夜」と題して、小平ブログ塾・動画塾の同級生エルダベリィさんが小平市の灯り(あかり)まつりの情景を動画に納めて掲載しました。

     詩情溢れる素晴らしい作品で、私がまだ動画をブログに載せられず、ブログを書き続けるのが精一杯なのに、彼女はたいしたものです。リンクを張りましたので是非見てください。

     小平市の灯りまつりには、私は去年まで毎年行きました。なかなかの人出で盛況なのですが、灯籠に書かれている文章が、市の主催だからというせいじゃないでしょうが、交通安全とか、学業成就とかが多く、とてもエルダベリィさんのような詩情がないのです。

     ところで、灯りのおまつりの代表的なものに、京都五山の送り火がありますが、今年の騒動はみっともなかったですね。送り火に使う松は地元と決まっているのですが、大分の誰かさんに勧められて被災地の松を使うことに変更、その後京都市民と被災地市民との両方からあれこれ言われ、二転三転四転です。

     伝統通り地元の松を使うというならそれでよし、今年は特別に被災地の松を使うというなら断乎それを使うということがなぜできないのでしょう。すこしぐらいの松を燃やしたからと云って、放射能で京都市民が病気になるわけがないでしょう。京都で育った者として、情けない限りです。

     「わいがいた時分の京都人はもっと毅然としてたでぇ。情けないこっちゃなぁ。」(となぜかここでも大阪弁)

     (写真:京都五山の送り火のうち、大文字)

     
      


  • Posted by そやねん  at 15:56Comments(1)文化

    2011年08月13日

    方言と笑いと・続

     おとといの「方言と笑いと」を見た九州出身の女性の方から、次のようなメールをいただきました。

     「「方言で美しくしゃべる」素敵です!東北弁は濁音が多いようなので「美しくない」と感じる向きもあるかもしれませんが、九州出身のわたしには「誠実・純朴・篤実」で美しい感じがします。ざっくり言ってしまえば、言葉が美しいかどうかは発話者のお人柄によることも大きいかと。「良かこつば言ったごたーね」(訳:良いこと言ったみたいじゃん)」とのことです。

     ウーン、美しく聞こえる方言とそうでない方言とがあるのかなと思っていましたが、やはり、喋るひとの人柄と喋り方次第なんですね。日本各地の人たちが一堂に会し、それぞれの方言で美しくよもやま話を語るのを聞いてみたい気がします。

     それから、前に書いた笑いとアホのことについて、少し付け加えてみます。

     大阪で「あの人はアホになれる人や」というのは、すごい褒め言葉なのです(アホな人やではないので念のため)。そして、「あの人はアホになれん人や」というのは、高慢な人だなという軽蔑の批評なのです。  


  • Posted by そやねん  at 14:20Comments(0)文化

    2011年08月11日

    方言と笑いと

     きのうアップした「また方言のこと」について、ある女性からコメントをいただきました。「自分は東北弁だが、そう美しいとも思えないので、それを逆手にとって、笑いを取るよう心がけている。俳優のあき竹城さんなどもそのようだと思う。」とのお言葉です。

     だけど、私の知っている東北出身の人で、すごくソフトなマイルドな東北弁でしゃべる人がいます。NHKのアナウンサーのような共通語を話す人は別として(これはこれで、意味の取り違えがない、そのまま書き言葉になるなど長所があるのですが、)、日本全国全部方言なのです。お互い方言で美しくしゃべるよう努力してみませんか。

     それから笑いですが、高校のときの副読本でしたか、他人を笑う人は、相手の失敗や欠点を軽蔑して笑うことで自分の優越性を確認しているのだと書かれていました。一方、意識して笑われるようにしている人は、それによって親近感や謙虚さを示そうとしているように思います。大阪弁では、これを「アホになれる。}と言いますが、大阪人はアホになれる人が圧倒的に多い珍しい種族なのです。もっとも日本中いや世界中どこへ行っても大阪弁でしゃべる、いつも「わいはアホやでー」と騒いでいるのも少し行きすぎかと思いますが。

     昔から「人に笑われるような人間になるな。」と言われますが、人を笑う人は立派でなく、人に笑われる人が立派なのです。アーややこし!

     東北弁で笑いを取ろうとおっしゃるのは見上げたもの、おおいにアホになってください(失礼)。  


  • Posted by そやねん  at 05:53Comments(4)文化

    2011年08月10日

    また方言のこと

     ネットニュースを見ていたら、AKB48の板野友美さんが某企業の関西弁でしゃべるCMに出ることになり、関西出身のスタッフのコーチで短時間で完璧に喋れるようになったと出ていました。
     
     タレント(才能)のあるタレントさんですし、短いセリフですからできたのだと思いますが、とここまで書いてネットで検索すると、大阪吹田生まれで横浜育ちと出ました。いくつまで大阪にいたのか知りませんが、バイリンガルなのかな?

     前にも書いたように、方言の語句(ことば)は変えられても、アクセントやイントネーションを変えるのは非常に困難です。だから、みんな生まれた土地の方言を生かして喋ればよいと思います。

     ただ、率直に云えば、美しく聞こえる方言とあまり美しく聞こえない方言があるように思いますね。また、人それぞれによって、同じ方言でも、美しく聞こえる人とあまり美しく聞こえない人があるようです。大都市では、全国各地の出身者が入り混じっているのですから、美しく聞こえる方言で交流したいものです、なお、東京弁も関東方言の一種だそうです。(板野さんのCMは秋冬もののCMだそうで、今日から聞けるとか、楽しみです。)  


  • Posted by そやねん  at 07:28Comments(2)文化

    2011年07月27日

    柔らかい語り口

     朝早く目が覚めたので、NHKのラジオ深夜便の放送を聞いていたら、司会、DJ等をやっている浜村淳さんが出ていました。

     浜村さんは大学を出るまで京都育ちで、その後主に関西で、また、東京でも司会やDJをやってきたそうですが、「言葉(語句)は共通語で、イントネーションは関西風で」ずっとやってきたとのこと、それが一番くせがなく、かつ、ソフトに聞こえるそうです。

     私もまったくそのように思います。このブログでも前に、言葉(語句)は標準語なり何なりに容易に直すことができるが、イントネーションはまず変えられないと書いたことがありますが、私も普段、共通語を大阪弁イントネーションで喋っています。

     このブログには時々どぎつい大阪弁を1行挟んでいますが、それはなぜ?

     「そやかてやなあ、ブログは喋れへんねやろ、イントネーションが出せへんやないかい。」

     もっとも、ブログに音声や音楽を貼り付けることはできるそうですが、何分私はまだ小学校卒業相当のスキルなので・・・  


  • Posted by そやねん  at 08:45Comments(0)文化

    2011年07月06日

    古本市に行く

     小平図書館友の会主催の古本市に行ってきました。今日から3日間古本の寄付を受け、その後の2日間それらを販売する仕組みです。利益が上がれば図書館に備品等を寄付するとのことです。行ってみると、手伝っている人の中にも何人もの知人がおり、埃だらけになりながら重い古本を整理していました。こういう活動が市民の暮らしや文化を支えているのですね。

     私は毎年これを楽しみにしていて、いつも十数冊寄付し、十数冊購入します。ミステリーが多いですね。それも幾何の問題を解かされるような本格物は苦手で、内田康夫や木谷恭介等社会テーマ物や旅情ものがいいですね。

     法律経済社会系の本もありますが、昨今は社会情勢や学説もめまぐるしく変化し、古本は全く役に立ちません。私は、何度も参照する本は購入し、ざっと目を通せばよいものは、図書館で借りるか、書店で立ち読みします(この部分ナイショ)。

     ところで、電子書籍が普及すると、図書館や古本市はどういう形になるのでしょうか。どなたか教えていただけませんか。
      


  • Posted by そやねん  at 14:37Comments(3)文化

    2011年06月29日

    ボチボチですわ

     講習会1日目につまづいて遅れた分を自宅で追い付くのに大わらわです。進み具合は?「ボチボチですわ」これは大阪弁の「まずまずです」ということ。「ボチボチやってます」というと「じっくりやってます」という感じになります。若い人はあまり使わないようで、方言の古語になりつつあるのでしょうか。

     大阪弁は関西弁のひとつですが、関西弁といっても、大阪弁は摂津弁(私は小学3年まで摂津です。)、河内弁、和泉弁に分かれます。京都は中近世からの京都弁ですが、郊外に行くと近江弁や丹波弁が混じります。神戸は摂津弁ですが、少しおしゃれな感じ、さらに西へ行くと播磨弁です。奈良和歌山もそれぞれ違います。だいたい近世の旧国名ごとに違うようです。

     私は英語をしゃべれないのを告白しますが、これは若いとき、英会話教室にはいったところ、2時間目に先生からあなたの英語のアクセントは大阪弁アクセントですねと言われ、やめてしまったからです・・。

     しゃべり方の構成要素には、ことば(字句)、アクセント、イントネーション(抑揚)がありますが、ことばは気をつければ短期間でいわゆる標準語になりますが、アクセントやイントネーションはアナウンサーなどプロの修練を積まない限り、一生直らないようです。数十年東京で暮らしている人でも、ひとこと喋れば、ああこの人は大阪だな、京都だなとわかります(小平では割に少ない感じ・・)。

     閑話休題、またブログの勉強に戻りましょう
      


  • Posted by そやねん  at 06:23Comments(1)文化