たまりば

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Posted by たまりば運営事務局  at 

2011年10月26日

高尾山にも秋が来た

朝食のとき、テレビで前日よりも9度も涼しくなると言っていたので、パッと思いついて高尾山に登ってきました。

台風の被害で長期間通行禁止になっていたのがようやく開通したというので、川沿いの6号路を行きました。夏の運動不足のせいで健脚の女性グループにスイスイ追い抜かれたのですが、それでも標準より速い70分強で頂上に着きました。晴れている割に雲が多く、富士山は見えませんでしたが、幼稚園や保育園の遠足シーズンとあって、あちこちに赤や黄色の帽子の花が咲いていました。

帰りは小走りに1号路を下り、高尾でそばとビールの昼食をとりました。爽やかで気持ちの良い半日でした。高尾山にも秋が来たのです。(写真:木の葉色づく)

高尾山口の駅のそばに、京王電鉄が温泉を掘り、再来年の春には温泉施設を開業するという表示が貼ってありました、登山口に温泉を作ることの是非はともかく、日本人はほんとに温泉好きですね。(写真:富士見えず残念)

  


  • Posted by そやねん  at 16:31Comments(8)遊ぶ

    2011年10月20日

    京のまち起こし

    とんぼ帰りで京都に行ってきました。

    JR東海の今年の秋の「そうだ京都、行こう。」のポスターは、毘沙門堂です。深紅のもみぢが散り敷く参道の向こうにお堂が見える素晴らしい景色です。しかし、毘沙門堂とは渋いですね。どの辺にあるかご存知ですか。そういえば、去年だったかのポスターは、金戒光明寺でした。これも渋いですね。(写真:毘沙門堂・JR東海HPより引用、JR山科駅北側にあります。)

    三条と四条の間の寺町通りは、その隣の新京極通りが修学旅行生でにぎわうのと対照的にさびれていたのですが、この10年ようやく大人の商店街に再興してきたように見えます。市内や近郊の買い物客で賑わっていました。三条通りも永年閑散としていたのが、近年は観光客目当ての食べものやなどが増え、賑わっています。京都は、人口や所得は増えないが、近郊の買い物客や遠方からの観光客を引き寄せることによってにぎわいを持続させていると見えます。商店街などの努力もすごいようです。

    まち起こしも、起きていたまちを維持するのも、まち起こしは大変ですね、同じ観光都市である奈良も奮起してもらいたい。もっとも、観光客で混まない、静かな奈良の晩秋の風景が私は好きなのですが・・。  


  • Posted by そやねん  at 09:24Comments(2)まちづくり

    2011年10月18日

    ソーシャルメディア・続

    同じソーシャルメディア講座の別の講師のお話です。

    ソーシャルメディアの利用が一般化すると、個人のプライバシー情報が幾分なりとも流出していく。よほど警戒していても、この傾向にはあらがえない。まして、ソーシャルメディアの実践家、評論家ともなると、少なくとも名前と顔は露出せざるを得ない。したがって、他のプライバシー情報、例えば今どこにいるとか、どのあたりに住んでいるとか、具体的な情報だけでなく、推測されるような情報も出さないように注意している。ソーシャルメディアの時代に生きる人にはトラブルから身を守るために、いわば、「露出リテラシー」(ここでは、露出の作法とでも訳すべきでしょうか。)が必要となる。とのことでした。

    その講師は、ソーシャルメディアの時代には地域コミュニティはどうなるかという会場の質問に答えて、私は興味で結ばれている小さな単位で暮らしている、地域というものが成り立ちにくくなるのかなと感じているとも話されました。  


  • Posted by そやねん  at 08:11Comments(0)文化

    2011年10月18日

    ソーシャルメディア

    嘉悦大で行われた、嘉悦大大学院主催、マイスタイル@こだいら協力のソーシャルメディア講座に出ました。

    フェイスブック、ツィッター、ブログなどソーシャルメディアに関する第1線級の実践家、評論家が講師をなさった講座で、非常に興味深く、刺激的なものでした。その全貌を個々に紹介することは困難ですが、議論の本筋とは別に、ちょっと感じたことを書いてみます。

    ある講師のお話、各種のメディアの利用に一生懸命になっていると、ネット社会での友人知人がどんどん増えていくが、300人に近付くと、頭の中に収容しきれなくなって、飽和状態となり、崩壊していく。そして、150人くらいに下がると再度それを再構築していくことが可能となる。これは、結局、相手を具体的に個別認識するという機能は、150人位がせいぜいで、それを越すと頭に収容しきれなくなって、飽和し、収容可能な限度に戻るということのようです。

    講師は、ローマ帝国における軍隊の単位も150人程度であったという例を持ち出されましたが、そういえば、旧日本軍隊や自衛隊の最小編成単位である中隊も最大150人程度のようです。  


  • Posted by そやねん  at 07:25Comments(0)文化

    2011年10月17日

    へびまはれ

    久し振りに高校のときのクラス会に出ました。

    このクラス会の名は、「へびまはれ会」といいます。なぜこういう名前を付けたのか?高校3年生のときの担任が英語の先生で、「使役動詞で補語の不定詞が原形となる(つまりtoがつかない。)ものに、help,bid,make,have,letがあるが、これを覚えるには、各語の頭をとって、へびまはれ、と唱えるといいよ。」とおっしゃったので、みんな、「へびまはれ、へびまはれ・・・」と暗唱しました。

    クラス会の命名にてこずったとき、級友のだれかがこれを思い出し、「へびまはれ会」と命名しようよと提唱、全員賛成してこの名前となりました。

    大変ユニークな名前で、他に例がないでしょう。みんなこの名前が気に入っています。ただ、「蛇、廻れってどういう意味ですか?」と聞く人が多く、そういうとき、説明にひと苦労します。
      


  • Posted by そやねん  at 16:22Comments(0)文化

    2011年10月03日

    ふりかわり

    へたなくせにまた囲碁の話。日経新聞随筆欄に囲碁棋士の小林千寿さんがプロ棋士になった高校生の頃、、各界のお偉い人に出稽古に行った話を書いていました。

    確かに20歳になるならずで各界の有名人を弟子に持つというのは、囲碁将棋かせいぜいゴルフの世界ぐらいでしょう。ある方が、囲碁は楽しいだけでなくて、経営や講演のときにも役立つとおっしゃって、「様子を見る」という言葉を挙げられたそうです。

    囲碁は将棋と同じく、古代の陸上戦をゲーム化したもののようですから、現代のいろんな戦いの場面にも相通じるものがあるのでしょう。最近は、囲碁ガールと称して女性の間でも囲碁が流行っているそうですが、楽しみだけでなく、世の中の見かたに役立つといわれているそうです。

    私は、「ふりかわり」という戦術に感心します。囲碁では、碁盤の上のあちこちでいくつもの局地戦が繰り広げられるわけですが、ある局地戦を犠牲にする代わりに別のできればより大きな局地戦で勝利を収め、最終の勝利に結びつけようというものです。この様な戦術は、国同士、企業同士、人間同士の競争に役立つと思いますが、他のスポーツにはあるのでしょうか。  


  • Posted by そやねん  at 12:16Comments(2)遊ぶ