2011年09月10日
新幹線の窓から・続
新幹線で京都駅に降りると、まだ9月上旬だというのに、たくさんの修学旅行生がたむろしていました。しばらく見ていると、大型バスでどこかへ出かけて行きました。そのありさまには、50年間変わらないような感覚を受けました。
政治、経済、社会、文化・・あらゆる物事が変化する世の中で修学旅行だけ変わらないとしたらなぜ?生徒、先生、保護者、文科省、旅行業者のうちの誰のせい?すべての関係者のせいのように思われます。変わる必要を感じないから、従来通りということなのでしょう。少し変わったのは、4,5人のグループに分かれ、貸切タクシーで名所巡りをしているくらい、これも狭い京都市内をなぜバスと徒歩で回らないのでしょうか、迷子が出るからか、それとも悪い遊び場に行く恐れがあるからでしょうか。
私は中学では伊勢志摩に、高校では九州に修学旅行に行きましたが、ほとんど記憶に残っていません。それより、大学のとき、全国各地から来た友人たちを仏像や庭園を観にお寺に案内したり、テントを担いで槍ヶ岳に登ったりしたのが楽しい思い出になっています。中高生たちも、修学旅行の半分以下の費用をもらって、近くの山でキャンプ生活をしたり、自分の住んでいる地方の歴史や産業を調べて回ったりするほうが余程ためになり、思い出にも残ると思うのですが。それで困るのは旅行業者だけでしょう。
「日帰りの所用旅行でくたびれたから云うて、八つ当たりが過ぎるんとちゃうか?」と影の声。
政治、経済、社会、文化・・あらゆる物事が変化する世の中で修学旅行だけ変わらないとしたらなぜ?生徒、先生、保護者、文科省、旅行業者のうちの誰のせい?すべての関係者のせいのように思われます。変わる必要を感じないから、従来通りということなのでしょう。少し変わったのは、4,5人のグループに分かれ、貸切タクシーで名所巡りをしているくらい、これも狭い京都市内をなぜバスと徒歩で回らないのでしょうか、迷子が出るからか、それとも悪い遊び場に行く恐れがあるからでしょうか。
私は中学では伊勢志摩に、高校では九州に修学旅行に行きましたが、ほとんど記憶に残っていません。それより、大学のとき、全国各地から来た友人たちを仏像や庭園を観にお寺に案内したり、テントを担いで槍ヶ岳に登ったりしたのが楽しい思い出になっています。中高生たちも、修学旅行の半分以下の費用をもらって、近くの山でキャンプ生活をしたり、自分の住んでいる地方の歴史や産業を調べて回ったりするほうが余程ためになり、思い出にも残ると思うのですが。それで困るのは旅行業者だけでしょう。
「日帰りの所用旅行でくたびれたから云うて、八つ当たりが過ぎるんとちゃうか?」と影の声。